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先日行った和歌山フィールドワークについての活動報告をさせていただきます。

2月18日
雨の中を和歌山県みなべ町へとたどり着きました。
みなべ町は古くから野鍛冶職人を輩出してきた土地であり、その活動範囲は近畿全域に及んでいました。
現在亀岡市で鍛冶屋倶楽部の指導をして頂いている片井操さんも、その野鍛冶職人の系譜を継いでいます。
詳しくは立命館大学の河島一仁先生の論文等を参考して頂ければと思います。
みなべ町役場での聞き取り調査によって、現在みなべ町では鍛冶職人として活動している方はいらっしゃらない
との事が分かりました。

残念な事ですが、かつて近畿を中心に活動していた紀州鍛冶は、みなべでは過去の存在となっていたのです。
そこで我々はいくつかの民家で聞き取りを行い、先祖が鍛冶職人だったという方に出会う事が出来ました。

その時の成果は今後このブログで発表していきたいと思います。

2月19日
みなべには最早鍛冶職人が存在しないという事実に肩を落とした部員でしたが、新宮市に現役で活動している
鍛冶職人がいると聞き、早速新宮へと向かいました。
田辺市より熊野川の清流に沿って移動したのですが、所々に山崩れの跡が見られ、紀州の自然の持つ厳しさと
それと共存してきた和歌山県民の懐の深さを痛感しました。
また、新宮市に入る途中の道からは、川の幅がぐんと広がり、雄大な景色を眺める事が出来ました。

2時間程かかり辿り着いたのは「大川鍛冶」。
和歌山県知事指定工芸品である野鍛冶刃物の技法を受け継ぐ職人さんです。
P2192553加工


奥行27メートルにも及ぶ大きな鍛冶場には我々鍛冶屋倶楽部が見たことが無い道具や工具が所狭しと並んでいて
圧倒されました。特に「ムトン」と呼ばれる鍛造機器はその規模の大きさに驚かされました。


P2192376加工

お話を伺った所によると新宮はかつて北山からの材木が流れ着く木材の一大集積地であり、大川鍛冶では山仕事用の道具を中心に作っていたそうです。
熊野川の幅いっぱいに木材が広がる光景はさぞや壮観だったでしょう。
最盛期には10人以上いた職人も今では大川さん一人になったそうです。
その職人さん達が日夜働いていたと聞いて、鍛冶場の大きさにも納得しました。
残念ながら後継者はいないとの事ですが、なんとも惜しい話だと思います。
ここで鍛冶屋倶楽部は参考資料として新宮伝統の「よき」を購入しました。
また串本町にも現役の鍛冶屋がいるとの情報を得られました。
お忙しい中、丁寧に対応してくださった大川さん、ありがとうございました。


P2192374加工


大川鍛冶を後にした我々は次回の調査の為に串本町の確認をしつつ(時間が無かったので串本の鍛冶屋さんは次回の調査に回しました)その後白浜に移動しました。

2月20日
最終日となったこの日はお世話になったみなべ町役場に我々の調査活動をまとめた本の献本と、片井氏の実家を訪ねました。
片井氏の実家では鍛冶場は残されていなかったものの、せめてもの記念にととっておいた金床を拝見させていただきました。思えばこの金床が鍛冶屋倶楽部の活動の起源になったのですから、実に感慨深いものがありました。
本家の片井氏に今までの経緯をお話すると、大変喜んでいただき、亀岡の片井氏の状況などを聞いて顔をほころばせておられました。
また、かつてこの近隣には多くの鍛冶職人がいたとのお話を生の声で聞けた事は収穫のひとつだったと思います。
本当にこの「人と人とのつながり」というもの大切なのだと実感できた調査でした。

まだまだ書くべき事はあるのですが、現在それを発表するに向けての活動中です。
次回調査までにまだまだやるべき事があるので、今後は更に活動を充実させていきたいと思います。

次回鍛冶制作は3月21日です。ご興味のある方はメールにてご連絡ください。

また鍛冶屋倶楽部は新規部員を募集しています。来年度の新一回生に限らず、鍛冶文化に興味がある、鉄を打ってみたい、ものづくりを体験してみたい等等の思いがある方を募集しています。

こちらもメールでご連絡ください。
または京都学園大学フレッシュマンフェスタの際に朋文館2Fまで来ていただければご案内します。
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